■ [30%OFF] 風景 [富士山] EP25-109 300ピース ジグソーパズル よく、邪馬台国はどこか、と言う問いかけを耳にしますが、なぜ、魏の使節が日本に来たのか、と考える人はいない様です。
そこで、この問題に、私なりの見解を示しますが、新春にふさわしい話題となれば幸いです。
まず、当時のことを考えますと、中国では、三国時代に入って、激しい戦いが行われていた時期です。
この三国時代と言うのは、曹氏が、漢帝国を滅ぼし、王権を簒奪して、魏と言う国を建国した事がそのきっかけとなり、曹氏と対立していた蜀と、呉が、それに対抗し、それぞれ、独立した帝国となる事を宣言する事により、そう呼ばれる時代が成立したのです。
その漢帝国の滅亡が、魏と、日本を結びつけたのですが、魏の使節は、言わば、魏と日本の同盟関係を意味するものだったのです。
漢帝国は、秦帝国崩壊の後に成立したましたが、北方の遊牧民の匈奴の南下を食い止める為に、秦帝国の後を引き継いで、万里の長城を拡張させます。
なぜ、万里の長城が必要だったか、歴史の本を見ても、一般の人の意見を聞いても、誰も、まともに答えられません。
なぜか? みんな、考えようともしないのです。
万里の長城を築いたのには、それなりの理由があるはずです。
それは、農耕民族と、遊牧民の食料生産の違いに起因しています。
遊牧民は、羊を放牧しながら、自然にまかせ、羊の餌である草がある所に移動します。
一方、農耕民族は、農地で、食料を栽培していますので、遊牧民の羊が南下して来たら、農地が荒らされ、食料が無くなってしまいます。
これでは、餓死してしまいますので、万里の長城を建設する事によって、遊牧民の南下を阻止しょうと言う発想が生まれます。
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この城壁は、秦の時代以前にも、孤立して存在していたのですが、始皇帝が、それを繋げて行きました。
その工事には、国内の奴隷を使いましたので、彼の死後、恨みを持った民衆の反発により、秦帝国は、崩壊する事になります。
秦帝国は、韓非子の進言により、法律を沢山作りますが、法律を多く作ると囚人の数が増えます。
法律違反を犯した囚人は、奴隷として、土木工事に駆り出されましたが、現代の日本も、痴漢冤罪や、タバコのポイ捨てなど、微罪で人を捕まえて、あたかも、凶悪犯罪者であるが如くとりあつかわれますので、秦帝国とよく似ています。
これは、自民党が、つぶれた原因と、同じだと思いますが、どうでしょうか。
秦帝国は、民衆の恨みをかった為、わずか、数十年で滅びる事になりますが、その後、成立した、漢帝国は、その事を良く知っていて、万里の長城を拡張するための奴隷を、帝国外から、調達します。
だから、漢帝国は、長続きしたのですが、その調達先の一つが、現在の朝鮮半島、日本の九州だったのです。
漢帝国は、朝鮮半島まで万里の長城を拡張しなければ、匈奴が、そこから侵入して、中国まで、やって来る可能性がある事を知っていましたので、朝鮮半島を掌握しました。
しかし、そこは、漢帝国の帝国外の、奴隷供給基地としての機能をもたせたのです。
それ故、中国から、戦国七雄の一つで、没落した「韓」族を、朝鮮半島に移住させます。
ちなみに、その時代、朝鮮と言う地名はありませんでしたが、とりあえず、そう呼ぶ事にします。
その、韓族の侵入により、先住民が、日本列島に逃れて来ますが、それが、弥生時代の始まりです。
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逃げ遅れた弥生人達は、韓族に支配され、奴隷にされて、万里の長城の建設に携わったのだと思いますが、韓族の一派の奴隷商人は、日本の博多を占領し、奴隷を調達します。
ようするに、無防備だった、日本の土地を勝ってに占領し、逃れて来た弥生人達をラチ誘拐して、奴隷(生口)として漢帝国に送り、金儲けをしていたわけです。
この奴隷商人に、漢帝国は、「金印」(江戸時代に作られた、偽物と言う噂もある。)、を与え、奴国の称号を与えるのですが、逃れて来た弥生人達は、武器を持って抵抗した為、朝鮮半島にある様な、馬韓、弁韓、辰韓の様な、実質的な、国家にはなりませんでした。
奴国の支配者に、「師升」と言う名前の人物が居たようですが、そもそも、日本で、漢字が使用されていない様な時代に、漢字の名前を使っているのですから、韓国人、あるいは、中国人に相違ありません。
おそらく、漢帝国には、海外に遠征する様な水軍は無かったでしょうし、また、その必要も無かったので、奴隷を献上し自分を売り込んだ、人材派遣・奴隷商人に、「金印」を与え、それを任せたのでしょうが、いつの時代にも、一攫千金を夢みる人間がいるものです。
漢帝国も、匈奴の南下を食い止めるので精一杯で、日本には、興味が無かった様に思われます。 ちなみに、「金印」には、「漢委奴国王」と書かれている様ですが、これは、素直に読むと「漢帝国が、奴隷の調達を委託した国王」と言う意味だと思いますが、ひねくれて読むと、「漢の委(わ)の奴(な)の国王」となります。
この侵略に、日本は、最初、気付きませんでしたが、その当時は、日本の首都は、関西に移動していて、九州は、僻地だったからでしょう。
やがて、その漢帝国が滅亡しますと、日本の朝鮮半島奪還の動きが出ます。
中国に成立した魏も、背後に、漢帝国の残党である、三韓が控えておりますと、もし、日本と同盟を結んで、攻めてこられる様な事態になれば、大変な事になります。 そこで、日本に使節を送り、同盟を結んだのです。
おそらく、日本が、「魏」の敵である「三韓」を攻撃するかわりに、日本が、朝鮮半島(本来、弥生半島である。)を奪還する事を承認すると言う条件で、同盟関係になったのだと思いますが、それが実現したのが、神宮皇后の時代でした。
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